先日、職場の後輩と話していて、ふと昔の自分を思い出した。

「なんか最近、休日も全然休めた気がしなくて」

そう言いながら、笑って誤魔化していた。
しんどいと言いながら、しんどいと認めていない感じ。
あのころのわたしも、ずっとそういう顔をしていた。

カンナ
カンナ
「休めた気がしない」って言葉、刺さった。昔のわたしが言いそうな言葉だったから。

「まだ頑張れる」が一番タチが悪い

限界のサインって、わかりやすい形では来ない。

突然倒れるとか、涙が止まらなくなるとか、そういう劇的なことが起きるのはむしろまれで、たいていはじわじわくる。
朝起きるのが少しつらい。
ご飯の味が薄い気がする。
好きだったことに興味が持てない。

でもそれぞれは小さいから、「まだ頑張れる」と思えてしまう。

これが一番タチが悪い。
小さいサインを無視し続けた結果、気づいたときには相当消耗している。
後輩も、そしてかつてのわたしも、そうだった。
「まだいける」と思いながら、じわじわ削られていた。

カンナ
カンナ
「まだいける」って思えるうちが、一番危ないと思ってる。気づいたときにはもう相当しんどくなってるから。

限界は、弱さじゃない

しんどいと打ち明けてくれたとき、「メンタルが弱いんじゃないか」と自分を責めていた。

でも、それは違うと思う。

限界って、弱い人間がなるものじゃない。
むしろ、限界まで頑張り続けた人間がなるものだ。
真面目で、責任感が強くて、周りへの迷惑を考えすぎるから、限界を超えても動き続けてしまう。

管理する側になってわかる。
しんどそうにしながらも休まず来る人ほど、ある日突然ガクッとくる。
限界のサインは、弱さのサインじゃない。
「そろそろ立ち止まっていいよ」という体と心からのメッセージだ。

カンナ
カンナ
限界まで頑張れたってことは、それだけ真面目だったってことだから。自分を責めなくていいよ。

逃げると、見えてくるものがある

わたしは20代後半に、仕事を辞めて韓国に留学した。

当時は「逃げた」と思っていた。
責任を果たさずに逃げ出した、と。
でも今になって思うのは、あのタイミングで逃げたのは正解だったということだ。

渦中にいると、見えないことがある。

あの職場が合わなかったのか、仕事そのものが合わなかったのか、それとも自分が消耗しすぎていただけなのか。
働き続けていたら、たぶんずっとわからなかった。
少し離れてはじめて、「環境が合わなかっただけだ」とわかった。

逃げることで、見えてくるものがある。

カンナ
カンナ
渦の中にいると、自分がどれだけしんどいかもわからなくなる。少し離れてはじめて、「あ、あれはしんどかったんだ」ってわかったりする。

「限界」はゴールじゃなくて、分岐点だ

限界を感じているなら、それはひとつの分岐点だと思う。

このまま続けるのか。
別の選択肢を探すのか。
少し立ち止まって考えるのか。

どれが正解かは、人によって違う。
でも、限界を感じたまま何もしないのだけは、たぶん体が一番きつい。

わたしが選んだのは「留学」という形の立ち止まり方だった。
それが全員に合うとは思わない。
でも、今の場所から少し離れてみるという選択肢は、思っているより悪くなかった。

限界はゴールじゃない。
そこからどこへ行くかを考える、分岐点だ。

カンナ
カンナ
どんな選択をするにしても、まず「しんどい」を認めるところから。それだけで、少し楽になるから。