旅行で行くのと、住むのはやっぱり違った
もう何回、海外に行っただろう。
コンサートの遠征、友達との旅行、仕事の出張。今のわたしは、昔よりずっと気軽に海外へ行くようになった。
でも、まだ留学を考えていなかったころは、旅行を重ねれば重ねるほど「住む」に近づいていくものだと思っていた。何度も通えば、その分だけ詳しくなって、住んでいるのとそう変わらなくなるだろうと。
その思い込みは、実際には全然違った。
何度も旅行していたのに、まだ知らないことがあった
韓国には、留学前も何回も行っていた。好きな街、好きな店、好きな路地まで、だいたい頭に入っていた。だから正直、留学しても「もう知ってる街だし」くらいの気持ちがどこかにあった。
でも住み始めてすぐ、その油断は消えた。
ゴミの分別のルール、銀行口座の作り方、携帯電話の契約。旅行では絶対に触れない部分が、次から次へと現れた。何回通っていても、「訪れる」だけでは見えない生活のレイヤーがあるんだと知った。
「住む」と「訪れる」は、似ているようで全然違った
旅行のとき、わたしは常に主役だった。どこに行くか、何を食べるか、全部自分の好きなように選べた。
住み始めると、そうはいかない。生活は、自分だけのペースで進まない。
旅行者だったころのわたしは、韓国という舞台のお客さんだった。住んでみて初めて、舞台の裏側というか、日常という地味な部分に触れた気がする。
語学が一番大きな差だった
旅行なら、簡単な韓国語と身振り手振りでなんとかなる。実際、何度もそれでやってきた。
でも住むとなると、そうはいかなかった。いろんな契約書、相手との細かいやりとり。日常のあらゆる場面で、ちゃんとした語学力が必要だった。
語学堂に通いながら、これまで旅行者として通じていたつもりの韓国語が、実はかなり表面的だったことに気づかされた。メニューを読めることと、部屋の契約条件を交渉できることは、まったく別の力だった。
生活のリズムが体に入るまでの時間
旅行は、非日常の連続だ。毎日が特別で、毎日が刺激的。
住むことは、その逆だった。最初の数週間はやっぱり非日常だったけど、そのうち生活は日常になっていく。特別だった韓国の朝が、ただの「いつもの朝」に変わっていく瞬間があった。
その変化を、最初は少し寂しく感じた。でも今思えば、あれこそが「住んでいる」という実感だったんだと思う。特別さがなくなって、ようやく生活として根を張った感じがした。
今も出張で海外に行くけど、感覚はやっぱり違う
今の仕事では、年に数回、海外出張がある。空港に着いた瞬間の高揚感は、あのころとあまり変わらない。
でも数日で帰る出張は、やっぱり「訪れる」の延長にある。生活のリズムが体に入る前に、また日本に戻る。あの、非日常が日常に変わっていく感覚までは、たどり着けない。
それを寂しいとは思わない。今の生活には今の生活のリズムがあるし、出張はそれはそれで楽しい。ただ、あの1年間だけの特別な感覚だったんだな、と改めて思う。
どちらが偉い、という話じゃない
旅行者としての韓国も、住民としての韓国も、どちらも好きだ。
旅行には旅行の身軽さがあって、住むことには住むことの重みがある。どちらが優れているという話じゃなくて、単純に違う体験だった、というだけのことだ。
「何回も旅行してるから、留学しても意味ないかな」と思っている人がいたら伝えたい。旅行でどれだけ詳しくなった街でも、住んでみると知らないことだらけだった。回数の問題じゃなくて、種類が違う経験なんだと思う。
行きたい国、留学する期間、費用、そして仕事のこと。
調べ始めると、決めることが意外とたくさんあります。
わたしも最初から全部決めていたわけではありません。
まずは、自分にどんな留学ができるのかを知るところから始めました。
留学エージェントって、どんなところ?
どんな相談ができる?どこに相談したらいい?
わたしが実際に調べてみて
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選び方と一緒にまとめました。






